本日はこちらの本を紹介します。
こちらの記事では、
本書のあらすじや、どんな人にオススメなの?を紹介していきたいと思います。
はじめての小説紹介になります!
頑張って書いていきたいと思います!!
超簡単な書籍紹介
この本には、
「アヴェ・マリア」・「終わりまであとどれくらいだろう」の2本の物語が収録されています。
それぞれ簡単にどんな話か書きます。
アヴェ・マリア
いつものようにアルファロメオに乗り、いつものようにナンパに出かけた。
それがその夏休み遊びの型とでも言うべきものだった。
横浜の倉庫にある、選民意識が何気に強く、値段もそこそこ張るプールバーに車をつける。そこでナンパに成功するが、しばらく飲んだあと、女の提案でなぜか幽霊屋敷にいくことになる…
※一部、本文中から引用しています。
なお、このあらすじは私がつくりましたので、
もっとこうしたほうが良いとかあったら、教えてください…
終わりまであとどれくらいだろう
本書の表題作「終わりまであとどれくらいだろう」はいわゆる群像劇で、2003年の桜咲く春のとある1日、ハセベ・ヨウコ、ヤマニシ・ケンゾウ、ミズタニ・ツトム、ウチムラ・サヤカ、ノミヤ・カズオ、ヒグチ・ノリコ、以上誰もが心を病んだ6人の男女が朝から晩まで東京をさまよいつつ、互いに出会ったりすれ違ったりするという構成をとっている。
本文解説から引用いたしました。
どんな方にオススメなのか?
・自分の日常に対して、いつも戦っているが、一息つきたい方。
これらの方にオススメだと思います!
著者の方の紹介
桜井 鈴茂(さくらい すずも、1968年4月23日 - )は、日本の小説家。北海道出身。明治学院大学社会学部社会学科卒業。同志社大学大学院商学研究科中退。
北海道当別町出身。札幌市立札幌開成高等学校卒業後、明治学院大学社会学部社会学科へ進学。卒業後もバンド活動を継続するが、やがて頓挫。バイク便ライダー、大学事務員、祇園のスナックのボーイ、小料理屋店長、水道メーター検診員など、職を転々とする。1999年同志社大学大学院商学研究科に入学。2002年、修士論文を放擲して執筆した「アレルヤ」で第13回朝日新人文学賞受賞。選評では文芸評論家の三浦雅士に「町田康の『勝つことに対する含羞』の次には桜井鈴茂の『明るい敗残者』の物語が続く」と評される。また「フリーター小説」と評されることもあるが、作品内では「フリーター」という単語は使用されていない。オルタナティヴ・ロックをはじめとする英米のポップ・ミュージックに強い影響を受けており、小説内やエピグラフでもたびたび言及している。
Wikipediaから引用
読めばわかるのですが、出てくる登場人物の効いている音楽の中に、
作者さんの好みが反映されています。
そのため、
音楽好きな方は、より一層楽しめる本になっていると思います!
twitterを拝見すると、DJもされているようですね!
心に残ったセンテンス
この本の中で、心に残ったセンテンスと、
それに対して、私が感じたことを挙げていきます。
一部分だけ抜粋することの怖さとして、
抜粋するのと、本文をすべて読むのでは、感じ方が全く感じる恐れがあるのですが、
それでも、本書で魅力的な部分を紹介できればと思います。
アヴェ・マリア
暴力、権力、金力。世界はそういったものに支配されてんだ。
ああ、そうかもしれん。
な?そんな世界に神がいるか?いるわけないだろ。え?でもな、ヒロミ、とミツルは言った。言葉に妙に力がこもってた。
この曲は美しいぜ、
たしかに。で?
いま、美しい、って感じてるだろ?
だからなんなんだよ?美しいって感じてるなら、とミツルは言った。なんだかミツルじゃないみたいだった。神はいるんだよ、やっぱり。
幽霊屋敷で、輩たちに2人vs8人でボコされた挙句、女も取られたヒロミたちが、
何か静かな音楽が聴きたいと、カーステレオで「アヴェ・マリア」を聴きながら交わした会話です。
そもそもヒロミもミツルもろくな奴ではなく(具体的には、アルファロメオは借り物だが、持ち主のことを完全にバカにしている。そのうえその車をナンパの道具としか使っていない)
さらに、ケンカにも敗れているのですが、「アヴェ・マリア」が流れることで、説明不能な救いがもたらされることを、神として実感しています。
終わりまであとどれくらいだろう
「原点に戻るべきだね。結果なんてどうでもいいじゃないか。人生、要はスタイルなんだよ。」
「はあ?」
「美しく生きるっていうのはそれだけで十分価値のあることじゃないかね。」
「ちょっとー」
「キミはそれを徹底的にもとめればいいんだよ。言わば人生の飛型点をね。」
「ちょっと待っー」
「見返りとかコミュニケーションとかそんなことはどうでもよろしい。人のためなんてことを考えるのも止めなさい。ひたすら美しくいきることだけに意識を集中するんだな。」
ミズタニ・ツトム(登場人物の1人・ギタリスト)と、精神科(心療内科?)の先生の会話。
ミズタニは、自分の身体の症状(タバコを吸うとすぐに吐いてしまう。)精神の症状(何に対してもやる気が起きない。曲作りに対しても。)に不安を覚え、導かれるように、病院に入っていきます。
どこまで飛べるか(距離)ではなく、どんな軌道で飛べるか?
に意識するという生き方が大切なのかもしれません。
学歴がどうとか、年収はいくらとか、役職がどうとか、
これらはすべて、距離の話だと思います。
逆に、美しいフォームで飛べていれば、
距離はある程度は、勝手についてくるものなのかもしれませんね。
と、この本に出てくる登場人物をそれぞれ見ながら思いました。
「あなたは希望をもってる?」
「急になんだよ?」
(中略)
「しかし希望なんかなくたって生きていけるだろ?」
「そう。そのとおりね。ちょっとした刺激があれば。」
「そうだ。ちょっとした刺激があればな。」
「終わりまであとどれくらいなんだろうね。」
「なんだって?」
コンサルをやっているヤマニシ・ケンゾウが、
デートの相手が見つからず、人妻熟女系高級マンションヘルスで、
相手の女性(ヨシエ)と行為後に交わした会話です。
ヤマニシは、コンサルで成功し、毎日女をとっかえひっかえ。
ヨシエも、子供がいながら、風俗で働く。(風俗で働く理由については詳しく書かれない)
ヨシエは、退屈やらいろいろなものから、人生の恐怖感を感じています。
深い絶望は感じていないが、出口の見えなさをぼんやり認識してこぼした一言。
ケンゾウは、しばらく考える。「終わりまであとどれくらいなんだろう」と。
多かれ少なかれ、色々な人が色々な問題を抱えています。
問題の中には、解決できない問題もありますが、
基本、生きていくことはできます。
それこそがある意味地獄で、
「これっていつになったら終わるんだろう?」
と考える人も多いのではないでしょうか?
本書は、そんな方たちに向けた本でした!
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